- プロフィール
- ボート部に入ったきっかけ
- ボート部で印象に残っていること
- 東商戦の思い出
- COXについて
- 学生生活について
- お仕事の内容
- ボート部をやっていて良かったと感じたこと
- 現役部員へのメッセージ
上田一郎さんプロフィール
氏名 | 上田 一郎(うえだ) |
生年月日 | 1933年(昭和8年)3月26日 |
出身地 | 北海道函館市 終戦後東京に移住 |
出身高校 | 東京都立豊多摩高等学校 |
入学年 | 1952年(昭和27年) |
卒業年 | 1956年(昭和31年) |
学部 | 法学部 |
ゼミ | 吉永ゼミ |
HCS | S組 |
勤務先 | (株)トリニティー・コンサルタント |
端艇部での役職 | COX |
ボート部に入ったきっかけ
クラスチャンピオンシップ。高校時代にはテニスをやっていたため、運動や部活に関しては全く抵抗が無く興味があった。そしてCOXとして出場したクラスチャンピオンシップをきっかけに向島の艇庫に通い始めた。何かを求めて自らボートに近づいたというよりも、乗ってみたらその面白さに憑りつかれてしまったような感覚であった。
ボート部で印象に残っていること
勝ち負けに関することよりも、貧しいさなか頑張って漕いだことが印象に残っている。戦後復興期にはクリンカーエイトというヒノキの薄板をお椀ボートのように貼り合わせた艇に乗り、浸水を防ぐためにアルミのカップを持ち込んで水を掻き出しながら何とか漕ぎ切っていた。また、川は非常に汚かった。1950年代初期はまだ魚が泳いでいたものの高度経済成長期に入った頃に川上の工場から流れる汚水の影響で隅田川は黒く汚れてしまったのである。川の水を浴びて帰ってきたらちゃんと洗い流さないと病気になってしまうとも言われた。
食事面も整っているとは言い難く、終戦後でお米が手に入りにくい時代だったので闇米を買いに行ったこともある。毎日水分の多いおかゆのようなご飯なので、レース前など良いご飯を炊いた日には部員が「今日の飯は箸が立った」と喜んだ。野菜は向島の方の協力で何とか手に入れていたが、タンパク質が足りないため浅草で馬肉を仕入れて食べていた。牛肉が食べたい時には牛の頭を買ってきてそこに残っている肉をそぎ落として雑炊に入れた。
東商戦の思い出
当時の東商戦というのは何とも晴れがましいイベントであった。球技があまり盛んではなかった日本でボートは観て楽しむスポーツとして代表的な存在であり、東商戦もボートのファンである都民が隅田川の𣘺に寄り集まってお酒を飲んだりしながら楽しく観戦していた。一橋の艇庫からは家族や友人、新聞社の人間などを乗せた観覧船が何牌も出る。ジュニアエイトで出漕し、残念ながら惜敗してしまったものの一生忘れられない素晴らしいレースだった。
COXについて
背が低かったのでCOXとしてクラスチャンピオンシップに出場し、そのままS組でCOXをやることに。終戦直後でボートを作るお金は無かったのでフィックスで練習を重ね、三年生になった頃にやっとシェル艇に乗れるようになって嬉しかった。シェル艇で東商戦に出漕するのは部員の目標であった。
学生生活について
ほとんどボート一筋だが、大学の学習課程が厳しくなった年に丁度入学したため部活との両立は大変だった。旧課程で大学に通う上級生たちには「授業なんて行かなくていい」と指導されていたが、夜練習でクタクタになりながら布団の中で勉強したりしていた。
お仕事の内容
東京海上の管理部門(経理)、ニューヨークの駐在、帰ってきて管理部門(国内にいながら海外事業の管理)、5年間ロンドンで駐在、コンピューターの事務管理部門へ。
ボートをやっていて良かったと感じたこと
人生で色んなチャンスに巡り合えたこと。卒業後も就職先の東京海上では実業団ボート部に入部してボートを続けた。先輩が沢山いた。日本では物足りないと思っていたところ、ロンドンに転勤が決まる。現地の本屋で「TrueBlue」というベストセラーの本が積み重なっているのを見つけ、日本へ帰って読んだところオックスフォード大学とケンブリッジ大学の素晴らしいレースを描いた作品であった。東京海上を卒業する頃、どうしてもこの本を翻訳したくて20社ほどの出版社に話を持ち寄ったものの、なかなか受け入れてもらえず苦戦。自分で出版するしかないと考え、会社の繋がりを上手く使って作者であり現在英国漕艇協会長のトポロスキー氏と連絡を取り、最終的に出版することが出来た。大学生から続けてきた自身のボート生活の集大成とも言える出来事である。
ロンドンでは世界マスターレガッタに出漕し、かつて貧しい生活に耐えながら頑張った結果社会人になって世界大会に出られたことをとても誇らしく思っている。ボートをやっていてこんなにも世界が広がるとは思っていなかった。
現役部員へのメッセージ
「ボートの面白さ」というのは現役部員なら解っていると思うが、自分の個性を殺し、積み重ねた努力や熱意を発揮することで見事なユニフォーミティが生まれる点にある。全員が瞬時にオールを合わせて漕いでいく姿は美しく、ボートを超える団体競技は他に存在しない。それくらい素晴らしいスポーツなのだ。
また、「TrueBlue」に登場するマネージャーはお金を貰うプロフェッショナル。必ずマネージャーにしかできない仕事があり、漕手とは違った立派な職業なので全員がその自覚を持つべきである。「マネージャー」というスポーツをするようなつもりで気合を持って頑張ってほしい。
インタビューを行って
上田先輩は非常に生き生きと前のめりにインタビューに答えて下さりました。当時のことを単なる昔話として話すのではなく真剣な眼差しで楽しそうに語っている様子を思い出すと、上田先輩にとってボートとの出会いは人生における大きな軸となっているのだと感じます。また、厳しい状況の中でも仲間たちと一緒に頑張った記憶を何十年と経過した今でも大切に持っているのだと分かり、そんな先輩の姿は一層今を頑張る活力になります。現役部員への力強いメッセージは私の心に強く響きました。この記事を読んだ現役部員たちもきっと、HUBCそして人生の先輩からのメッセージを有難く受け取るに違いありません。貴重なお話を沢山聞かせて頂き、本当にありがとうございました。(実吉真希)
上田先輩、ありがとうございました。